【猫の骨折】もみじの試練の結晶、世界に一つだけのネックレス

愛猫もみじが骨折で経験した過酷な治療の軌跡と、その証を形に残したネックレスの物語。

試練を乗り越えたもみじとの絆を象徴する、唯一無二のジュエリーが誕生した経緯をお話します。


みなさん、突然ですが、このネックレスはどんな意味があると思いますか?

【猫の骨折】もみじの脚の中に入っていたチタンプレートを使ってできたネックレス
【猫の骨折】もみじの脚の中に入っていたチタンプレートを使ってできたネックレス

このネックレスは私にとってとても意味のある、世界にひとつのネックレスです。

このネックレスのチタンでできた小さなパーツは、なんと、もみじの後ろ足の中に2年以上のもの間入っていました。

もみじの悲劇と試練:悪夢のはじまり

オイルヒーターで暖をとる猫のミッフィー
オイルヒーターで暖をとるミッフィー

うちの2匹の猫たちは、寒い時期はオイルヒーターの上で過ごすのが日課でした。

もみじはある日、お気に入りのオイルヒーターの上でいつものように暖をとっていました。

しかし、その日は誤って爪を小さな隙間に挟んでしまい、爪がひっかかったままヒーターから落っこちて、ぶささがってしまいます。

その結果、後ろ脚の骨を折ってしまう大けがを負うことに。。。

私はちょうどその時日本にいたのですが、その場に居合わせていた私のパートナーが、「凄まじい叫び声だった」と語っていました。

私が次の日にはスペインに帰国するというタイミングでした。

もみじのその時の壮絶な痛みを思うと、旅路でも心配でしんぱいでたまりませんでした。

そして、これがもみじの骨折した後ろ脚の、とても長い治療の始まりでした。

長い治療の始まり

もみじの足の後ろ足の治療はとてもなく長い道のりでした。

まず近くの獣医さんに連れて行ったのですが、 ねんざ程度と言われて、そのまま痛み止めをくれただけでした。
しかし もみじの足は一向に良くなりません。。。

その後お友達の勧めで、 もっと設備の整った、大きな動物病院に連れて行きました。

そこではレントゲンを撮ってもらい、 審査の結果、完全に足が折れているとのことでした。

手術をしなければ、うまくは生活できないと言われます。

その時は ペット保険にも入っておらず、 手術代もかなりかかる予定ででしたが、まだ生まれて1年ちょっとの命なのに不自由な体で生活するのがとても可哀想でした。

手術代は、1000ユーロとのこと。。。

高額な手術代でしたが、パートナーと相談した結果、 手術をしてもらうことにしました。

手術とその後の日々

手術は、脚が折れてから10日も経って実行されました。

先生曰く、手術の日が遅かったため、 生まれながらにしてこのような状態だったかのように、折れた脚がそのままガチガチに固まっていたようで、手術は非常に困難だったと話しておられました。

幸運にも、困難な手術でも成功させてきたとても実績のある先生に手術してもらえため、 なんとかも もみじの手術は無事成功となりました。

しかしながら、その後は2ヶ月以上もの間、 ほぼ毎日タクシーで獣医さん通いという日々が始まりました。

手術の傷は非常に大きく、 後ろ足の下半分に縦に切り傷が走っており、 手術後も相当痛かっただろうと思います。

現に、 手術後の初日は、痛さを訴えるかのようにしばらくの間ずっとニャーミャーと泣き続けていました。

通院の主な理由は、手術後の経過を見るのと、 毎日包帯をきちんと取り替えるということが目的でした。

包帯はうまく巻きつけるのがとても難しく、 下手にやればもみじがすぐに取ってしまいます。
どうしてもうまくできず、 傷口も細い脚に薄い皮だけの部分なので、大きな傷がなかなか塞がらず、やはり獣医さんの助けが必要だと確信し、 毎日通院することにした次第です。

通院した2ヶ月間、 もみじはずっと包帯をしたままだけでなく、エリザベスカラー(アニマルネッカー)もつけての生活だったので、 とても苦痛な、拷問のような毎日を送っていました。

走り回るとまた折れてしまう可能性があるため、檻での窮屈な生活も始まりました。

脚の骨を折った猫のもみじと、付き添うミッフィー
なぜか檻に入りたがるミッフィー。。。しかし、入れると出たがる。。。

現に、あんなに元気だったもみじは、とても気力のない子猫になってしまいました。

元々おてんばなもみじは遊び盛りだったはずなのに、ろくに遊ぶこともできず、とてもつらい時期だったと思います。

一度は治癒したかに見えたが…

2ヶ月以上通院し、やっとの思いで包帯もエリザベスカラーも外すことができ、もみじは以前のように4本足で歩くことができるようになりました。

走ったりすると最初はヒヤヒヤしましたが、 それもしばらくたち、もう大丈夫という確信に変わりました。

以前のように遊び回る もみじを見ると、本当によかったという思いで、涙が出ました。

。。。しかし、 1年経ったある夏の日、 もみじが以前手術した脚のあたりに小さな傷のようなものを発見したのです。

。。。とても嫌な予感がしました。

再手術と苦しい決断

その嫌な予感は的中しました。
先生に電話すると、一度もみじを連れてきて欲しいとのことでした。

急いで病院に連れて行くと、やはりプレートは取らなければいけない、という話になりました。

実は最初の頃は、 担当医の先生の意見から、一度入れたプレートは一生外さなくてもいいのではないかと安心しきっていました。

その理由は、猫の寿命は人間よりも短いので、取らなくてもそのまま一生を終えることができるのではないか、ということでした。

しかし、夏の暑さで脚の中にあったチタンプレートや釘が何らかの形で反応したらしく、 その傷は明らかにそれらの部品のせいで現れたものでした。

すぐにでも取ろうという話になったのですが、 その2日後には10日間の旅行に行く予定が入っていました。

旅行をキャンセルしようと考えたのですが、 先生がその間動物ホテルに預けることを提案してくださり、 そこでは傷が大きくならないように手当もしてくれるとのことだったので、躊躇しましたが、 面倒を見てもらうことにしました。

しかしそれはやはり良くない選択でした。

いつもミッフィーと一緒だったもみじは、1人ペットホテルに預けられ、 普段の様子からは考えられないほどとても反抗的だったようです。

ホテルの人にはどのような状況なのかメッセージを書くのですが、 抵抗して触るのも大変だとのことでした。

送られてきたビデオには、 もみじに触ろうとする世話係の人に飛びかかるような様子が見られました。 本当にこれがいつものもみじなのかと疑うような豹変ぶりでした。

旅行から帰ってきた 次の日の早朝、 もみじがホテルのバンで送られてきました。

私は、10日ぶりに帰ってきたもみじを見て驚愕しました。

もみじがとても小さく見えたのです。

家に上がって持ち上げてみると、体の重さが ほ ぼ 感じられないほどの体重でした。
その時 ホテルに預けたことを本当に心から後悔しました。

その間、 ミッフィーはミッフィーで私たちが旅行中一人でお留守番することになり、 退屈との戦いだったようです。

カメラ越しに見る ミッフィーはいつも寝てばかりで、気の毒でした。

私達が帰ってきたとき、 ビルの入口のドアをあけると、すでに4階の私たちのアパートから、ミッフィーの鳴き声が聞こえ始めました。

下から階段で上がる間ずっと泣き続けていました。

4階まで上がり切りアパートのドアを開けると、ミッフィーは私たちを見るなり喜びの舞のごとくそこらじゅうを走り回り、私たちに近づいては鳴き続け、1時間以上も嬉しさのあまり鳴き続けた挙句、しまいにはしゃがれ声になってしまったほどです。

もみじを預けるなら、ミッフィーも一緒に預けた方が良かったのかもしれません。

再び始まる試練の期間

こうしてもみじは家に戻り、 翌日には手術の日となりました。

また同じあの悪夢が2ヶ月 かも続くのかと思うと、心の底から憂鬱な気分になりました。

何も悪いことをしていないもみじが、 なぜここまでひどい目に遭わなければいけないのか、 とても心が痛みました。

そして手術の日、ふとあることが頭に 浮かびました。

「こんなにもみじが頑張った証として、 あのチタンのプレートを先生に取っといてもらおう」

そのプレートは非常に辛い思い出でもありますが、同時にもみじがこんなにも一生懸命回復しようと頑張った証でもありました。

手術が終わった後、先生から説明を受け、それと同時に小さなチタンのプレートを手渡されました。

もみじの脚に入っていたチタンプレート
もみじの脚に入っていたチタンプレート

小さいとは言っても、小さい体のもみじのこんなにも細い脚の中に入っていたのかと思うと、信じられがたく、本当に辛い気持ちになりました。

そしてよく見てみると、そのチタンのプレートの角はかなり荒く尖っていました。

こんなものがずっと入っていたのかと思うと気分が悪くなりましたが、人間に使用する部品と違って、見つけるのが大変だったんだろうな、何とか使えるものを探してきてくれたのだろうな、という思いも同時にありました。

手術後、また大きな切り傷を負ったもみじは、傷口がとても痛かったと思います。

そして、またあの忌まわしいエリザベスカラーとの2か月間の生活が始まりました。

薬も毎日大量に摂取しなければなりませんでした。

獣医さんへも1日おきには必ず行っていました。

骨折手術後の猫のもみじと、脚に入っていたチタンプレート
手術後のもみじと、脚に入っていたチタンプレート

獣医さんに行くたびに、もみじは 震え上がりました。

毎回 とても怖い思いをしたんだと思います。

現に一度、 いつまでたっても塞がらない手術の傷をなんとかしようと、獣医さんがホッチキスのようなツールを手にし、麻酔なしにそのままバチッともみじの脚の皮膚にホッチキスの針ようなものを差し込んだのです。

驚きと痛さでもみじは叫び声を上げ、そそうをてしまいました。

彼女にとっては虐待の何物でもなかったでしょう。

そして日々が過ぎ塞がりそうで完全にふさがらないもみじの足の傷には、本当にじれったい思いをさせられたものです。

一度、かなり改善したのでエリザベスカラーを取ったのですが、すぐに足の傷をなめてしまい傷がひどくなりそうだったので、やむを得なくエリザベスカラーを再び首に巻きつけました。

その時のもみじの様子が今も忘れられません。

人間の子供のように心から

「もう、いやっ!!」

と叫ぶかのように、カラーを着けたとたん、一呼吸置いてから精一杯の息を吸い込んで、

「みゃう!!」

と叫んだのです。

エリザベスカラーの猫
エリザベスカラーを着けたままの生活を送るもみじ

心の底から嫌だったのだな、 もううんざりなんだな、と思い知らされました。

もみじの努力の証を形に残す

こうしてなんとか回復し、もみじは以前のように歩けるようになりました。

今こうして彼女を見ていると、過去にそんなことがあったのかなんて信じられないほど、遊びたいときは元気にそこら中を駆け回ります。

小さなテラスがある家に引っ越してきてからは、 たまに狩りもするようになりました。

一体どうやってこんな小さなテラスのスペースで小鳥や虫を捕まえるのだろうと、とても不思議なくらい運動神経抜群なもみじです。

もみじは大変な思いを散々してきましたが、今こうして元気に走る姿を見ていると、手術できて本当に良かったと思います。

この出来事は忘れるわけもありませんが、もみじが回復しようと一生懸命耐え続けて頑張った証を何かのかたちで残したいと思いました。

そして辛い出来事を耐えた象徴のチタンのピースを、きれいなネックレスにすることが思い浮かびました。

ジュエリーにすることで、もみじが頑張ったという努力の結晶の塊をきれいな形に残せるような気がしました。

もみじの試練のあかしを、ネックレスに変えてくれたジュエリーデザイナー

その願いを叶えてくれる場所は見つけるのは簡単ではありませんでした。

ネットで調べ上げた結果、 私のこの思いを理解してくれた、素敵なジュエリーデザイナーさんに出会いました。

彼女はマイテという、マドリードの𝐺𝑖𝑛𝑔𝑒𝑟 𝑎𝑛𝑑 𝑉𝑒𝑙𝑣𝑒𝑡 (ジンジャー&ベルベット)というハイセンスなジュエリーショップを経営するデザイナーさんに出会いました。

そして、お店の名前である「ジンジャー」と「ベルベット」は、なんと彼女の飼う13歳にもなる高齢猫たちの名前でもあったのです。

運命は信じない方ですが、 何という偶然、と思いました。
彼女は快く引き受けてくれ、 何回かの修正を加えた末、 素敵なネックレスが出来上がりました。

このネックレスは、私ともみじにとって大変意味のある、本当の意味で世界で一つだけのネックレスとなりました。

もみじの努力の結晶として、一緒大事にしていきたいと思います。

GINGER & VELVET · Calle de la Alameda, 4, C. del León, 22, 28014 Madrid, スペイン
★★★★★ · 宝石店

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